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ヒストリー

 2022/04/18

オリエンタルホテルからもたらされたもの

鳴尾ゴルフ倶楽部とオリエンタルホテルのかかわりは古く、浜コースの時代には神戸のオリエンタルホテルから、カレーが寸胴鍋で運ばれていたという記述が残されている。鳴尾浜時代からのメンバーであり、猪名川移転の委員も務めた島田義治が、東洋汽船に在籍し、後にオリエンタルホテルの代表となったという縁もあったのだろう。

C.H.アリソンが1931年1月、廣野の設計図面、茨木、鳴尾の改造・改修案を書いたのもまた、オリエンタルホテルだった。

日本最古級の西洋式ホテル、オリエンタルホテルが開業したのは1870(明治3)年。オランダ人のG・ファン・デル・フリース(G. van der Vlies)という人物が、神戸外国人居留地79番地に開業したのが始まりとされている。

その後、横浜グランドホテルの初代料理長であり、日本における「フランス料理の父」と称されるフランス人のルイ・ビゴ(Louis Begeux)がオリエンタルホテルを所有し、1887年、神戸外国人居留地81番地へ移転している。

現在の鳴尾のカレーは、オリエンタルホテルをルーツに持つカレーのレシピを、時代に応じてアレンジしたもの

前述したように1897年には、神戸ゴルフ倶楽部の創始者アーサー・ヘスケス・グルームらの所有となるのだから、オリエンタルホテルとゴルフの間には、不思議な縁を感じざるを得ない。

そのオリエンタルホテルの名物として代々引き継がれてきたのがカレーである。阪神淡路大震災(1995年)でオリエンタルホテルは大きな被害を受け、一度は伝統のカレーの味も途切れてしまったが、2010年の再開業とともに、当時の総料理長がその味の再現に成功。現在も“オリエンタルビーフカレー”としてメインダイニングの名物料理となっている。

一方、鳴尾ゴルフ倶楽部にもまた、オリエンタルホテルのカレーは、違う形で残されている。1930年代にオリエンタルホテルから神戸倶楽部を経て、猪名川コースレストランの初代料理長となった松尾多仁蔵から伝わるカレーの味が、時を経ながら、現在へと引き継がれているのだ。

カレーだけでなくプリンも、松尾シェフの時代から「鳴尾の名物」として愛され続けている
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