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歴史

1956

鳴尾の流儀とクラブライフ

クラブハウスの新築

現在の鳴尾ゴルフ倶楽部のクラブハウスが完成したのは、1956(昭和31)年10月のことであった。

猪名川にコースが出来て四半世紀、鳴尾浜から移築したクラブハウスは、居心地の良いものではあったが老朽化しており、増改築で対応してきたものの、会員が800名を超え、クラブハウスとしての役割を十分には果たせなくなっていたのである。

「増改築すべし」との意見も出たが、1955年6月15日の理事会において新築案が議定され、理事会のもとに建設委員会が設置された。設計は安井建築設計事務所の佐野正一と松井貴太郎。施工は大林組。そして用地は、H.C.クレーンらが所有していた山林などを買収した、旧クラブハウスの西側山腹と決定した。

安井建築設計事務所を立ち上げた安井武雄(1884年~1955年)は、大阪倶楽部(1924年、登録有形文化財)、高麗橋野村ビルディング(1927年)、大阪瓦斯ビルヂング(1933年、登録有形文化財)などの設計で知られる、大正から昭和初期のモダニズム建築を代表する建築家である。

佐野正一
佐野正一 1921年~2014年。
大阪生まれ。主な作品は「サントリー山崎蒸溜所」「サントリーホール」「東京国立博物館平成館」など。長男で建築家の佐野吉彦(安井建築設計事務所、現代表)も鳴尾ゴルフ倶楽部のメンバー

その娘婿でもあった佐野正一は、著書『建築家三代 安井建築設計事務所 継承と発展』(日刊建設工業新聞社:2003年)の中で、鳴尾のクラブハウスについてこう語っている。

「はじめてのクラブハウス設計である。(中略)すべてに手探りの不安のある仕事だった。しかし、クラブハウスは基本的に住宅に近い対象物だったことに思い至って、安井武雄が住宅作品に愛情をこめてこまかなデザインを展開した仕事ぶりを手本にぶつかることにした。私はここで設計という仕事の難しさと出来上がる喜びと、設計技術の修練の大切さを一緒に初めて自分自身の体験として学びとったように思われる。鳴尾ゴルフ倶楽部クラブハウスの基本のかたちはイギリスによくあるマナーハウスである。オーナーたちの尊厳、出入りする一般公衆の便宜と友好が達成されねばならない」

品格とホスピタリティ、そして我が家にいるかのような安心感をもたらしてくれるクラブハウス、英国の伝統を引き継ぐゴルフクラブである鳴尾に最もふさわしいクラブハウスが出来上がった背景には、設計者であるとともに、安井武雄から承継したメンバーでもあった佐野正一の、鳴尾ゴルフ倶楽部への確たる想いが秘められていたのである。

実際に出来上がったクラウハウスは、設計の意図どおり採光や人の動線など、申し分のないものだった。

「ハウスの位置についていえば、東方に連山を眺め、朝陽を受けて明るく、夕方は夕陽を受けませんから涼しい。ロッカーで着替えし、出口でキャディをつけてもらい、練習し、1番、10番からスタートする一連の流れは実にスムースです。プレーが終わってから入浴、食堂バーを経て玄関と、帰りのルートも単純で、往復とも迷路は何処にもありません。ただし、バーに立寄ることを忘れる人のあることははなはだ遺憾です。バーには食堂の片隅にあるオープン式と、別室のクローズ式がありますが、わがバーは後者を採用した特徴のあるものです。これは鳴尾海岸時代からの英国式伝統によるもので、フェローシップの場となっているところであります」(第4代理事長・佐藤武夫『50年史』より)

完成当時のクラブハウス
完成当時のクラブハウス。現在もその姿は変わらない

当代一流の設計家が建てたクラブハウスが完成した喜びのほどは、完成から6年後に発刊された『40年史』の記述からも明らかである。

「コースを隔ててクラブハウスを遠望すると、夢幻的な美しさに、お伽の国の『月宮殿』を思わせるものがあり、芝生や赤松林のコース風景に映発して、わが国の誇る第1流のゴルフ倶楽部たる面目を発揮した豪華建築でわが国のクラブハウス建築最初のものである」

竣工から65年の歳月が経過した今も、「月宮殿」と評された鳴尾のクラブハウスは、その優美な姿を静かに保ち続けている。

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